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梅棹 忠夫著「情報の文明学」の書感

情報に対する考え方が変わりました。
情報は、受ける側が、どう受けとるかが問題です。その意味で、あらゆるものには情報が存在します。五感で得た感覚も情報といえますし、人の仕草や、星空、コンピュータに映し出された数字などももちろん情報です。そう考えてみると、少しおおざっぱかもしれませんが、世の中すべて情報だと思えてきました。


遠くない昔、人は生きるために食べ物を採ったり、狩ったりしていました。満足に食事ができるようになると、快適さを求め工業が発達しました。今は、付加価値や感覚を求めています。つまり私たちの生きる現代は、情報が意味を持つ時代であり、それまでにあった価値の基準が、大きく変わったと言えます。そこには時代を経て、受ける側に余裕が生まれたというか、受け取る準備のようなものができてきたようにも思えます。


 

この時代の変化は、人類の歴史からすると、ごくごく短い期間で行われました。そう見ると、現代のように情報がシームレスで行き交う情報時代でさえも、その聡明期であると言えそうです。

また「情報はモノとは違い、形がなく虚構であるから、価値がない」という考えは、まったくの間違いで、むしろ情報を求める行為はさらに広がり、大きな意味と価値をもっていくのだろうと思えてなりません。

 
著者は「これからは広告宣伝がまず根幹にあって、それに応じて、それにあうようにモノを作っていく時代」と50年近く前に言っています。その先見性にも驚かされますが、なるほどと納得もさせられます。読み進めるごとに、これから人類は、情報を得ながらどこに向かうのだろう、ついついそんなことを考えてしまいます。

本書を読み、情報について深く考えるきっかけができたこと、人類の進歩をたどりながら、体型的に理解できたことは、とても大きな意味を持つだろうと感じています。


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